他人の目に映る自分

数年前のことですがとあるセミナーに参加した時の企画で、モデルでもなく特に美しくも無い一般庶民の私が、プロのスタイリストさんとヘア・メイクアップアーティストさんにスタイリングをしていただき、プロのカメラマンさんに写真を撮影をしていただくという稀な機会がありました。

私はファッションもメイクもそこそこには興味があるタイプなので、自分に似合うスタイルはなんとなく分かっているつもりでいたのですが、その稀な経験は、自分が思う自分のイメージと他人の目に映る自分はこれほどまでに違うのかと、びっくり仰天させられた機会でもありました。

 

ちなみに私はシンプルな色や形が好みなので、派手な色や柄の洋服はあまり持っていません。色は白、黒、紺などのスタンダードなものばかり持っていますが、キラッと光る美しいフォルムの洋服に惹かれます。
一見地味だけれど、なんだかかっこいい、なんだか垢抜けてると思わせるようなファッションが好みなんです。

それはファッションに限らず、インテリアや道具などにも共通している趣味かもしれません。
時折、突拍子もないような奇抜なデザインや色をポイントに取り入れて遊ぶこともありますが、基本はスタンダード&シンプル路線です。

 

ところが、その企画でスタイリストさんが私に選んでくれた洋服は、白いレースのツーピース(パンツスタイル)でした。

 

当日に自分のスタイリングを見せてもらった瞬間に私の口から出た言葉。

「えっ、これ、絶対に私に似合わない(笑)」

体が凍りつくほどに、その白いレースという乙女チックな素材に、激しく抵抗を感じたのを今でもよく覚えています。

 

 

表に出さない下着などならまだしも、レースという素材は私の辞書にはそれまでなかったんです。
そんな素材をスタイリストさんが私に選ぶだなんて、私の頭では到底予想できませんでした。

つまり私は、私が思う自分好みなスタイルの路線で、プロ級にかっこいいスタイリングを提供してくれるのではないかと、スタイリストさんに期待していたんです。

だから私は、当日自分のスタイリングを見せてもらった瞬間に、少なからずがっかりしました。
せっかく選んでくれたスタイリストさんにはちょっと申し訳なかったのですが、それが正直な私の本音だったんです。

 

スタイリストさんは「あなたには女性らしい白のレースをカッコよく着こなして欲しいと思ったんです。」とおっしゃいました。

いつも私がどんな服装をしているのかは予め写真でお見せしていたので、私の好みの傾向を分かった上でのチョイスだったのだと思うんですよ。つまりはいつもとは違うファッションを取り入れてみてはという提案でもあったのです。
私の抵抗をある程度予想してか、あまり女性らしくなりすぎないようにと気を使って、メンズライクなハットとシンプルなヒールの高い靴は、私が抵抗なく身に付けられるものでした。

「まあ、試しに着てみて下さい。」と促されて着替えたものの、生まれてこのかた一度も見たことが無い、全身真っ白という自分の出で立ちに目がくらくらしました。そしてフッティングルームを出るのがものすごく嫌だった。なぜならブースの外には、企画に参加している他のメンバーが10人ほど待機していたからなんです。

 

ところがフィッティングルームを出たら、会場に「わぁ〜〜」という完成が起こりました。

予想できなかった世界を見ましたね。

ちなみに会場の皆さんは、私が普段どんな格好を好んでしているかなんてことは、一切知らないお方ばかり。
だから私に対する人間像などの固定観念が全くない、その場にたたずむ私を見ての純粋な反応だったのではないかと思います。

自分自身は全く似合わないと思っているのに、他人はとても似合うと褒めてくださるという、なんとも受け入れ難いような感覚。

素直に喜べない私がそこには居ましたが、あまりに周囲の皆さんが称賛してくださるので、少しずつでも心を開いて受け入れるべきかもしれないという気持ちにさせられました。

 

私の第一印象って一体どんな風なんだろう?

私ってどんな人だと思われているんだろう?

そんなことを考えてみても、他人の頭の中というのは私には全く予想できないことなのだと、その時に実感しました。どんなにがんばっても太刀打ちできない敗北感といったらいいか。

いやむしろ、そんなことを考えるのは無駄なこと。
他人の目を気にすることなく自分の可能性を極限まで味わう方が、よっぽど有意義な生き方なのではないかと思うようになり、新しい道が広がった気がしています。

 

 

その経験のおかげだと私は思っているのですが、今では私は色々なタイプの服を着るようになりました。

それまで私は、これは私の体型には合わないな..とか、年齢的にこの柄は子供っぽすぎるな..とか、実際に着てみる前に頭で考えて却下することをいつもやっていたと思います。
しかも効率的に着まわしたいという思いから、今ある服に合わせられないようなファッションは気に入っても手に入れないことがよくありました。

今では意図的に、これまでの固定観念を捨てて服選びをしようと思っています。

つまりは自分の直感を大切に、気に入った服はとりあえず試着してみる。

実際に着てみて、やっぱり気に入らない服もたくさんあります。けれど、ものすごく派手に見えた服も実際に袖を通してみたら意外と似合ったり、子供っぽく見えた服も結構着こなせたり、思わぬ発見がたくさんあるのが楽しいのです。

そんな風に自分を楽しませる領域を、少しずつ広げています。

 

 

何が言いたかったのかと言いますと…。

私たちって、自分が自覚している以上に固定観念に縛られた選択をたくさんしていると思うんです。

服選びに限らず、もの選びも、食品選びも。住居選びや、仕事選び…ありとあらゆるものを選択するときに、ふと思う、「なんか良いな」や「なんか好きじゃないな」を見なかったことにして、それまで築いてきた自分の枠の中で選択しようとする傾向がある。

その自分の枠とは、自分が勝手に思っている自分の手に入れられそうな範囲なんです。
ましてや社会的な見地や人の意見に惑わされての選択も、大いにあると思う。でもその人の意見というやつも、結局は自分の想像の範囲内でしかなくて、実際には違っていると思ってよいと思う。

私が思う私と、他人の目に写る私は違うように。

自分の考えと、他人の考えは同じではないのが前提と思って生き出すと、自分の世界が平和になると思うんです。だって違いが原因で、誰かと戦わなければならない機会がなくなるから。

そして自分を『こうだ』と決めつけることを止めると、自分の一気に世界が広がると思うんです。今までは見えなかったものが、自分の世界にたくさん飛び込んでくるようになる。

どんな世界を選ぶのかは人それぞれでよいと思うので、私の考え方が正しいという主張ではないですが、「ひょっとして自分の世界を自分は狭めているような気がするな」と思う人には、ちょっと取り入れてみると面白いかもしれない視点の持ち方だと思います。

それはこだわりを捨てるということでもあると思うので、自分がなくなるように感じる方もおられるかもしれませんが、いくら今までの固定観念を捨てたとしても、根本的に自分が持っている趣味趣向というのはどうやったって消えません。
純粋に自分の趣味趣向が前面に出た選択ができるようになるように、長年の癖で決めてかかっている心の鎧を、ちょっと脱いでみると面白いよというお話でした。

 

本日はスタイルを変えて、私が日頃から考えていることを書いてみました。

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